通圓とは
通圓とは

通円茶屋は吉川英治の小説「宮本武蔵」にも出てきますが、創業は平安時代末の永暦元年(西暦1160年)にさかのぼります。

 元祖は源頼政の家臣で、古川右内という武士でした。晩年隠居をして頼政の政の一字を賜って太敬庵通円政久と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。

 その後子孫代々、通円の姓を名乗って宇治橋の橋守(守護職)を仰せつかり、道往く人々に茶を差し上げて橋の長久祈願と旅人の無病息災を願ってきました。

 現在の建物は、寛文十二年(1672)に建てられた江戸時代の町家の遺構を残す建物で、正面から見ますと、深い庇(ひさし)と、間口が広いわりに柱を少なくした建物となっています。これは昔から賑やかな往来の人々が、出入りしやすいように考えたためで、太い梁(はり)を使ってはね木を押さえている江戸時代初期の建築方法です。店の間には数百年を経た茶壷がならび、一休和尚より賜りました「初代通円」の木像が祀られています。足利義政・豊臣秀吉・徳川家康を始め諸大名も、この茶屋でお茶を召し上がって行かれたことが記録に残っています。

京や大和路を往き来した昔の人々が出入りした面影が偲ばれる茶屋です。

通円茶屋は吉川英治の小説「宮本武蔵」にも出てきますが、創業は平安時代末の永暦元年(西暦1160年)にさかのぼります。