The history of Tsuen
通圓の歴史
宇治川のたもとで通行人にお茶を供したという茶人
通圓とは
宇治川のたもとで通行人に茶を供したという茶人。
また、狂言の一。舞狂言。通圓という茶坊主の亡霊が現れて、旅僧に弔いを頼み、宇治橋供養で茶を点死(たてじに)したことを語り舞う。
<通圓茶屋>
茶人通圓が宇治橋の東詰めで茶を売っていたお店。
岩波書店 広辞苑第五版より
宇治川のたもとで通行人に茶を供したという茶人。
また、狂言の一。舞狂言。通圓という茶坊主の亡霊が現れて、旅僧に弔いを頼み、宇治橋供養で茶を点死(たてじに)したことを語り舞う。
<通圓茶屋>
茶人通圓が宇治橋の東詰めで茶を売っていたお店。
岩波書店 広辞苑第五版より

平安時代末期から室町時代へ
永暦元年1160年 -初代通圓-
通圓の創業は平安時代末永暦元年(西暦1160年)にさかのぼります。
元祖は源頼政の家臣、古川右内(ふるかわうない)という武士で武術にすぐれておりました。晩年隠居をし頼政の政の一字を賜って「太敬庵通圓政久(たいけいあんつうえんまさひさ)」と名乗り、宇治橋東詰に庵(いおり)を結びました。
元祖は源頼政の家臣、古川右内(ふるかわうない)という武士で武術にすぐれておりました。晩年隠居をし頼政の政の一字を賜って「太敬庵通圓政久(たいけいあんつうえんまさひさ)」と名乗り、宇治橋東詰に庵(いおり)を結びました。
治承4年1180年 -治承の役-
初代通圓は主君源頼政のもとにはせ参じ、ともに平家の軍と戦いました。
(宇治川の合戦)
その後 頼政は平等院(宇治市宇治)扇ノ芝にて、初代通圓もその後を追い、ともに討ち死にを遂げています。現在 源頼政、通圓政久の両墓は平等院の庭に静かに眠っています。
この頼政と初代通圓の主従関係を物語った「通圓」という狂言は能「頼政」を茶化した狂言で今日もたびたび上演されております。
(宇治川の合戦)
その後 頼政は平等院(宇治市宇治)扇ノ芝にて、初代通圓もその後を追い、ともに討ち死にを遂げています。現在 源頼政、通圓政久の両墓は平等院の庭に静かに眠っています。
この頼政と初代通圓の主従関係を物語った「通圓」という狂言は能「頼政」を茶化した狂言で今日もたびたび上演されております。

1191年
栄西が宋から茶種を持ち帰る。
鎌倉幕府成立 1185年
室町幕府成立 1338年
このころ、宇治茶が高級茶としてもてはやされるようになりました。
主に修行僧の眠気覚ましとして茶を飲まれました。
その後子孫代々、「通圓 ※後に通円」の姓を名乗って宇治橋の橋守(はしもり・守護職)を仰せつかり、道往く人々に橋の長久祈願と旅人の無病息災を願って、茶を差し上げてまいりました。
主に修行僧の眠気覚ましとして茶を飲まれました。
その後子孫代々、「通圓 ※後に通円」の姓を名乗って宇治橋の橋守(はしもり・守護職)を仰せつかり、道往く人々に橋の長久祈願と旅人の無病息災を願って、茶を差し上げてまいりました。

第七代目 ???〜1455年
第七代目通圓はとんちで有名な一休和尚と親交厚く、参禅して隠者となり、共にとんちを持って肝胆相照らす仲だったようです。
康正元年(1455)第七代目通圓は卒しています。
このとき一休はわざわざ通圓の家に来て、当家のものに「一服一銭一期の泡」としたためた書を贈っています。
一休和尚作「初代通圓」木像は茶筅と茶碗を持ち舞っている姿で当店正面に祀(まつ)られており、今も毎朝 お茶・お線香・お花をお供えしています。
康正元年(1455)第七代目通圓は卒しています。
このとき一休はわざわざ通圓の家に来て、当家のものに「一服一銭一期の泡」としたためた書を贈っています。
一休和尚作「初代通圓」木像は茶筅と茶碗を持ち舞っている姿で当店正面に祀(まつ)られており、今も毎朝 お茶・お線香・お花をお供えしています。

安土桃山時代から江戸時代
安土桃山時代 1568年-第八代目
第八代目通圓は将軍足利義政の同朋衆、茶坊主として
将軍に仕えておりました。
将軍に仕えておりました。
第十代目、第十一代目
第十代目、第十一代目通圓は、豊臣秀吉公の信任を受けて宇治川の水を汲み上げる大役を仰せ使っていました。

慶長元年 1596年
茶事に関心の深かった豊臣秀吉公は、伏見城におられた時、城中で大名や茶人を招いてしばしば茶会を催しました。その時に用いる茶の湯の水は、当時“天下の名水”といわれた宇治川の水を五更の時刻(日の出までのおよそ二時間あまりの間)宇治橋三の間より汲み上げ、伏見城に運びました。その時水汲みに使った「釣瓶(つるべ)」は秀吉公が千利休に命じて特別に作らせました。その釣瓶は現在まで通圓代々に受け継がれ家宝として秀吉の五七(ごしち)の桐(きり)の紋と共に保存されています。
寛文12年 1672年
現在の建物は 寛文12年 西暦1672年に建てられた建物です。昔は 宇治橋の架け替えは20年から
30年に一回架け替えられたのでその都度 幕府の手で通圓も建て替えられたり修理をしてもらっていました。
30年に一回架け替えられたのでその都度 幕府の手で通圓も建て替えられたり修理をしてもらっていました。
安永9年 1780年
都名所図会に掲載される
文久3年 1863年
宇治川両岸一覧に掲載される

明治から平成、令和
明治維新 1868年-第二十代目
通円祐次郎(ゆうじろう)
伊藤博文が通圓茶屋を訪れる
伊藤博文が通圓茶屋を訪れる
大正-第二十一代目
通円米蔵
昭和 第二十二代目
通円良三
「橋守八百年」―あるじ茶のみ咄しー
二十二代当主 通円良三はお茶のことや宇治のことを綴ったエッセー集を生前三冊刊行しました。
1970年代に毎月玉露、煎茶、雁ケ音を200g単位でお送りする頒布会「橋守会」を発足しました。この組織は以前から「通圓さんのお茶を毎月定期的に送ってほしい」というお客様がおられ、こういうお客様をもっと増やしてゆきたいという思いで結成しました。
毎月ただお茶だけを送るのでは味気ないということで二十二代当主は宇治茶のことや宇治の名所旧跡、宇治の歳時などを「一口メモ」として書いてお茶と一緒にお届けしていました。
「一口メモ」としてほんの軽い気持ちで書きはじめたものですが、いろいろな方々から一冊の本にまとめたらという要望で刊行することが出来、「一口メモ」も積み重なって「続橋守八百年」「通圓茶壺」と三冊も出すことが出来ました。
「橋守八百年」―あるじ茶のみ咄しー
二十二代当主 通円良三はお茶のことや宇治のことを綴ったエッセー集を生前三冊刊行しました。
1970年代に毎月玉露、煎茶、雁ケ音を200g単位でお送りする頒布会「橋守会」を発足しました。この組織は以前から「通圓さんのお茶を毎月定期的に送ってほしい」というお客様がおられ、こういうお客様をもっと増やしてゆきたいという思いで結成しました。
毎月ただお茶だけを送るのでは味気ないということで二十二代当主は宇治茶のことや宇治の名所旧跡、宇治の歳時などを「一口メモ」として書いてお茶と一緒にお届けしていました。
「一口メモ」としてほんの軽い気持ちで書きはじめたものですが、いろいろな方々から一冊の本にまとめたらという要望で刊行することが出来、「一口メモ」も積み重なって「続橋守八百年」「通圓茶壺」と三冊も出すことが出来ました。

橋守八百年 昭和55年(1980)3月20日発行
続橋守八百年 昭和60年(1985)3月20日発行
通圓茶壺 昭和63年(1988)1月20日発行
続橋守八百年 昭和60年(1985)3月20日発行
通圓茶壺 昭和63年(1988)1月20日発行

吉川英治小説『宮本武蔵』に通圓茶屋が登場する
美空ひばり 映画「鞍馬天狗」撮影のため訪問
美空ひばり 映画「鞍馬天狗」撮影のため訪問

昭和55年 1980年
優良食料品全国コンクール 農林水産大臣賞受章
第二十三代目
通円亮太郎
毎年10月の第一日曜日に開催される「宇治茶祭」には毎年二十三代亮太郎が行列の先導をつとめ、平成24年には二十四代祐介が豊臣秀吉公の故事にちなんで宇治川の三の間から名水を汲み上げる役を担当いたしました。
毎年10月の第一日曜日に開催される「宇治茶祭」には毎年二十三代亮太郎が行列の先導をつとめ、平成24年には二十四代祐介が豊臣秀吉公の故事にちなんで宇治川の三の間から名水を汲み上げる役を担当いたしました。

【宇治茶上神社献茶祭】
宇治上神社が世界遺産に登録されたことを記念して毎年6月1日は献茶祭が執り行われます。新茶の収穫に感謝して茶業者から煎茶が献上されます。二十三代亮太郎は奉賛会長としてお世話をさせていただいています。
宇治上神社が世界遺産に登録されたことを記念して毎年6月1日は献茶祭が執り行われます。新茶の収穫に感謝して茶業者から煎茶が献上されます。二十三代亮太郎は奉賛会長としてお世話をさせていただいています。
昭和63年3月11日
株式会社 通圓設立
平成13年 2001年3月
通圓 本店 茶房リニューアル
平成17年 2005年4月
通円祐介(ゆうすけ) 就業

